私たちの部落問題

第2部トークイベント「私と部落と反差別」

 

撮影:片岡遼平
撮影:片岡遼平

 

被差別部落の地名や関係者の個人情報がインターネットに公開され大きな問題となっている。ネット上の差別が深刻化する中、昨年、部落差別解消法が施行された。一方で「部落問題は無くなった」ことにされる現状もある。そもそも部落問題とはどういうことか、現在の差別の実態はどうなっているのか。2017年6月25日に上智大学「立場の心理学」の公開授業として開催された、ABDARCトークイベント「私たちの部落問題」の第2部より抄録する。(構成/沢田レモン)

 

 

部落問題との出会い

 

内田 尚絅学院大学で教員をしております。専門は社会学で、部落問題について研究をしてまいりました。後半はトークイベント「私と部落と反差別」を進めていきたいと思います。

 

第1部、第2部というかたちで完全に切り離すわけではなく、第1部のレクチャーを引き受けながら、それぞれの立場から部落問題あるいは反差別のことについてお話しをいただければと思います。では順番に、まずは上川多実さんよろしくお願いします。

 

上川 上川多実と言います。いま37歳で東京に住み子育てをしています。私自身は東京の被差別部落(以下、部落)ではない地域で生まれ育ってきましたが、両親が関西の部落出身です。ルーツは部落にあり、「自分は部落の出身者だ。部落民だ」と思いながら、ずっと生きてきています。 

 

学校でも部落問題は教科書程度にしか教えられたことがなく、友だちや周りの親も「部落問題ってなに?関西の話でしょ?今あるの?」という中で生きてきて、今もそういう中で生活しています。

 

私はいま、BURAKU HERITAGEというサイトを運営しています。これは、30年近く「部落問題は昔の話だ」と言われ続けた中で「そうじゃない。こうやって毎日生活してるんですよ」というように、少しでも具体的な発信ができればと思い2011年からやってます。登壇者のCさんや内田龍史くんもメンバーとして活動をしています。

 

私が部落問題を語る時、「じゃあどんな差別を受けましたか」とわかりやすい差別話を聞かれます。自身の話で言うと、私は叔母がいません。父の妹で、結婚をする時に「部落の親戚とは付き合いを絶って結婚しなさい」と言われ、父も結婚式に呼ばれず、叔母が生きている死んでいるかもわからない状態です。 

 

東京では部落問題が表面化しにくく、みんなが知らないということもあるんですが、身近なところで就職差別などを見聞きしながら生きています。そんな中「私も将来、結婚差別や就職差別を受けるかもしれない」と思いながら生きてきましたが、それよりもすごく辛いことがありました。それは、周りの人が部落問題について知らない。こんなに私は将来のことを悩んだり考えたりするけれども、その問題を知らないことにされている。「無視されている」ということのほうが、「結婚できないかも」「就職できないかも」ということよりも辛かったです。

 

私もいま原告の一人として鳥取ループ裁判をやっています。私の名前や両親の名前、住所が「部落関係者一覧」という形でネット上に出ています。そもそもなぜ、自分の名前が載っていることを知ったのかというと、私の子どもが学校でインターネットで好きなワードを検索するという機会があり、私の名前で検索したそうです。そうしたら子どもから「変な画像でてきたよママ」というふうに報告を受けたんです。私もあとで調べた時、画像はTwitterに載せていたものでしたが、先ほどの関係者一覧が出てきて、その中に自分の名前があることを知りました。そのときは名前だけ載っており、「うわー!なんだこれ!」と思ったんですが、後ほど裁判に参加したときに「原告者一覧」がネット上に出されました。いまは消えていますが、そのときに私の住所も公開されました。このあたりのことをSYNODOSに書かせてもらいました(「東京に部落差別はない?--見えない差別を可視化する BURAKU HERITAGEの挑戦」)。 

 

後日、別の用事でエゴサーチをすると検索ワードに「上川多実 住所」と出ていました。『あぁ…「住所が出た」と書いたら、こんなふうに調べる人がいるんだな。こうやっていろんなことが言えなくさせられていくんだな』と思いました。ちなみに一緒に活動している川口くんを検索すると「川口泰司 うさんくさい」と出ます(笑)

 

ただ、私は住所も出されていますが、ネットにすごい悲観的ではありません。なぜかというと、ネットでは嫌なことも起きますが、自分の周りに部落問題を知っている人がおらず、 仲間や話し相手が欲しいとずーっとずっと渇望している中、それを与えてくれたのもネットでした。私はネットに救われたなとすごく思っていて、今日もABDARCのイベントが出来ています。これもネットの繋がりですし、ネットは差別を強化する面もあるけど、差別される側、傷ついている側の人を助けられる、救える可能性もすごくあると思っています。

 

さきほど、鳥取ループ裁判の被告の一人が会場にいたのでざわつきましたけど(「授業の趣旨・円滑な授業運営のため、ヘイトスピーチ・差別目的での参加、裁判係争関係者の参加はお断りいたします」と掲示していたにも関わらず、被告の一人が変装して会場内に着席していたことが判明。退出を促す説得をしたものの応じなかったため、複数人のスタッフで抱えて会場外へ運び出した)、「あ!何か起こってる!」となったときに会場にいた何人かの方がバババッと立ち上がってそちらへ駆けつけてくれました。 そういう方たちが今日ここに来てくれているのもネットでの繋がりの結果なんです。ぜひ、皆さんとともにどんどんポジティブで良い情報を発信していけるような流れを作っていけたらなと思っています。

 

内田 いまのお話にもありましたが、ネットは先ほどの事件のようなひどい使い方もあるが、それによって反差別の可能性も生まれてくるんじゃないか、というような内容だったと思います。では、続きましてCさんよろしくお願いします。

 

C 「C」こと高岩智江といいます。私は東京に住んでいる36歳です。今回の鳥取ループ裁判では、私の父親が原告の一人です。父は福岡の被差別部落出身です。

 

いまもすごく緊張しているんですが、こういう場で話すのは初めてなので、至らないところもあるかと思いますがよろしくお願いします。

 

なぜ、私がここに立ってみようと思ったかと言いますと、2003~2004年にかけ大量差別ハガキ事件という部落解放同盟員の人たちに差別的なハガキを大量に送りつけ、嫌がらせをするという事件がありました。そのときに自宅にも送られてきました。私は実家に父と一緒に住んでおり、自宅のポストがドアと一体型になっており、投函されるところ、靴をはくところにハガキが落ちていました。ハガキには、「エタ、非人」「ウジ虫は死んだほうがいい、早く死んだほうがいい」というようなことがビッシリ書かれていました。それが若干トラウマになっていまして、そのときのことを夢に見たこともあるし、同じ字体、似たような字のハガキが届くと、いまだにかなりドキッとします。なので、同じ思いをする人が少しでも減ればいいなと思い、BURAKU HERITAGEでいつも活動しております。今回はABDARCのイベントに立たせていただくことになりました。どうぞよろしくお願いします。以上です。

 

内田 ありがとうございます。東京では連続差別ハガキ事件というものがあまり知られていないかもしれませんけど、たくさんの人に差別ハガキが届けられたということがありまして、その体験をしたということも含め、改めて後半でお話いただければと思います。それでは、三木幸美さんからお話していただきます。

 

三木 三木幸美と言います。大阪から来ました。部落問題のイベントに登壇するのは初めてですごく緊張しています。

 

私は8年ほど、とよなか国際交流協会というところで外国にルーツを持つ子どもたちと一緒に活動をしています。私は自身、お母さんはフィリピン人、お父さんは日本人なので、多文化共生のイベントなどでそういう話をします。実は私の出身地が被差別部落の地域です。

 

自身の話をするときにハーフと、部落民と、どうしようかなと迷っているとき、ちょうどフリーライターの角岡伸彦さんに「フィリピン系部落民やん」と言われました。フィリピンにある部落みたいですけど、そうではなくて、どちらの良いとこどりができる名前として最近使いはじめました。

 

私は地元の小、中、高校に通い関西の大学まで行きました。小、中、高がすごい珍しい学校で人権教育をバリバリやっていました。大人になり友だちと「中学校のとき委員会なにやってた?」みたいな話をするときにみんな、「えっ?」ってなるんですが、私は反差別共闘委員会という委員会に入ってました(笑)。

 

多分、日本でも一番最初の(ヘイトスピーチなどに反対する)カウンターちゃうんかなと思っています。しかも、みんな低学力なんで「反差別共闘」の「闘」が書けないんです(笑)。「中、なんやっけ?」って言うて、ひらがなで書く。そんなところやったんですが、部落だからといって部落民だけではなく、ハーフの子や韓国・朝鮮にルーツを持つ子など、いろんなマイノリティの子がいました。

 

そして、その委員会が何をしていたかというと、学期に一回、人権討論集会というものをやるんです。自分たちが抱えている問題がどうやったら改善されていくのか、誰に言っていくべきなのかということを討論する集会があります。その中で「自分の話を地域の外でできるかどうか」ということを話し合う機会がありました。小、中学校の学区に住んでいる子、みんな村の子です。みんなお互いのことを知っています。例えば、どんなマイノリティの子がいるか、家のこと、兄弟や親のことも知っている。いまから新しくカミングアウトすることなんて無いんですが、きっと外に行ったらあるだろうと。自分の本名を名乗るって子もいたんですが、出身について話すかどうかについて、結局最後の答えは「言わない」だったんです。みんなここでは言えるけど外では言わない。言える人がいるかもしれないが、言ったとしても受け入れてもらえない可能性があれば言いたくないって子が多かったです。

 

当事者の子たちは「言わない」選択をする子が多かったですが、日本人や男性のようなマジョリティと言われる人たちは「言ってもいいと思う。別に差別とか無いし。私はしないし」と言っていたんです。「いや、そういう問題じゃないんだよ」と私は思いましたが、当事者と当事者じゃない人の認識の違いはすごくあるなと感じました。

 

高校も人権教育に力を入れているところに入りましたが、高校になると地域外の生徒が来るので、「部落」というものを知らない子もたくさんいます。全校集会の中で自分のことをカミングアウトするイベントがあり、そのときに「自分の出身はこうなんです」と言う人もいます。そして感想を書くんですが、それを見ると「別にそんなん気にしてないし」「被害妄想強くないですか?」と、普通に書かれるんです。それでさらに傷つくんです。

 

先生たちもそういう「まなざし」とか、どんなふうに差別を乗り越えていくかってことを考えようとしていました。それもすごい大事だとは思いますが、それらが当事者だけに課せられているような感覚がありました。例えば、当事者が元気になって、強くなって、差別を乗り越えていく。差別された側がどういうふうに頑張るか。マジョリティ側がそこに生きる人と一緒に考えていく、というふうにはなかなかなりませんでした。

 

私が一番最初に差別を受けたのは、学校の友だちに「お前国に帰れや」と言われたことです。部落のことではないんですが、それを知ったお母さんが「ママの娘でごめんね」と謝ったんです。私はそんなことを言うのは間違っていると思うし、差別される側が乗り越えるものじゃないと思っています。しかし、差別される側って不安になるんです。怒っていいのかなとか、ここで悲しんでいいのかなとか、すごい不安なんです。

 

どんなマイノリティの問題にも共通することだとは思いますが、差別をされる当事者がどういうふうに乗り越えていくか、ということと同じぐらいかそれ以上に、マジョリティと言われる人たちも当事者と一緒に差別に怒ったり、意思表示をしたり、何ができるのかと考えていくことが大事じゃないのかなと思っています。後半はそんな話ができたらなと思います。ありがとうございます。

 

内田 最後「当事者が差別への対処法を学んでいくことは必要だとは思うが、マジョリティが差別にどう向き合っていくのか」、そういうところへの提言だったと思います。それでは、李信恵さんよろしくお願いします。

 

 こんにちは、蓮舫です。一生懸命ネタをしこんで大阪からやってきました(笑)。6月19日に在特会との裁判で無事に勝訴することができました (毎日新聞 2017年6月19日 「人種差別と女性差別との複合差別」在特会敗訴)。

 

私も大阪の東大阪から来ました。この中で東大阪を知っている人は手をあげてください。結構知っていますね。東京で言うと大田区、神奈川で言うと川崎みたいな町です。中小企業が多く、在日コリアン(以下、在日)も多い町です。ラグビーの聖地花園もあります。そういう町で生まれ育ち、フリーライターをやっています。反差別のカウンター活動をずっと追いかけています。さっきも言いましたが、反ヘイトスピーチ裁判を2本抱えており、ひとつは在特会、もうひとつは保守速報というまとめサイトに対し訴えています(反ヘイトスピーチ裁判)。

 

対在特会の控訴審の地裁判決では、民族差別については認められましたが、高裁判決はもう少し踏み込んで、女性差別も加わった複合差別という判決が出ました。複合差別の判決は日本で初めて出たそうです。私の場合は、民族差別と女性差別でしたが、部落の人でも女性の方が男性よりひどい被害を受けたり、在日で障害者、女性など、いろんな複合差別がいままであまり取り上げられていなかったんです。今回そういうことが認定されたので、様々な悩みや辛さを抱えた人にとって、解決できる道筋の一つになれればいいなと思っています。

 

そして保守速報ですが、ネットの中ではすごく差別が蔓延しています。私は2ちゃんねるを元に、デマばかりを集めてるサイトを訴えていいます。たとえサイトが削除されても、その中の差別は10年、20年、50年たっても残っているかもしれません。そういうようなネットの差別の深刻さに踏み込んだ判決がでるように、保守速報でも頑張って闘っていけたらと思います。

 

部落問題との関係ですが、大学生のときに民族講師というのをやっていました。朝鮮半島にルーツのある子どもたちに、文化や言葉、踊りなどを教えていました。つい最近まで知りませんでしたが、在日朝鮮人の民族学級ができたきっかけが、部落の識字活動だったということを知りました。その成果だと思いますが、私が関わっていた学校が全部、部落の地域にありました。大阪は部落と在日の居住区が隣接したり重なっていたりします。またこうやっていろんな部落問題にも関われるようになり嬉しいなと思っています。

 

裁判の時にも、いつも部落解放同盟の方々や、関東のカウンターの人たち、LGBTの友人などたくさん来ていただいているので、これからこういう活動を通じ、マイノリティ同士が繋がって、より良い社会を作っていけたらなと思っています。

 

内田 ありがとうございます。裁判で判決が出たばかりで、後半で差別との闘い方などもお話いただければなと思います。

 

ゆーすけ どうもこんにちは。ぼくだけ下の名前しか出していないんですが、ぼくはゲイで、普段活動するときは本名を出しています。自分の属性に関連したことで活動する場合は、名前を出すことにすごい抵抗があるんです。なぜかというと、親にはまだカムアウトしていません。ゲイである自分が伝わったら、親は多分理解してくれるだろうと思います。けれども、周りから何を言われるかわからないという、すごい恐怖心がありいまだに上の名前は出せないんです。

 

ということで、えらく遅くなりました。先ほどまで、韓国の大邱(テグ)にいました。昨日、クィアパレードとう性的少数者のパレードがあったんです。私が関わっているTOKYO NO HATEというところでブースを出し参加してきました。それで飛行機が遅れ遅くなりました。

 

ぼくが生まれ育ったのは大阪ですが、地域の南に行けば大きな部落があります。子どものときから大阪市内に住み、同和教育を受け、そういう差別があることは知っていました。街中でも「石川(一雄)さんを返せ」と普通に書いてありました。東京の人は知らないですよね。みなさん、狭山事件ってご存知ですか?ぼくらは小学校で勉強するんですが、東京に来てその話をしても全然通じないです。みなさんも知らないみたいですね。

 

そういう教育受けて(部落差別を)知ってはいるんだけど、部落の人との関わりがあるかというと、ほとんどありませんでした。ぼくがすごく感じるのは、大阪は「大阪」というところにアイデンティティの拠り所を求め、一方でコミュニティ単位ですごく断絶している、離れたところの人とは交流が全くないんです。どこかからいいかげんな情報が流れて来て「そうなんや。(あそこの地域は)近寄ったらあかんねんな」と思いつつ、学校では「差別はいけませんよね」みたいな教育を受け、よく分からないけれどもそういう差別があると、高校に入り在日コリアンやゲイ、部落、華僑などのいろんな人に会えるようになり感じました。

 

ぼく、ずっと韓国に住んで外国語を勉強していました。そのころ、翻訳掲示板というのがあり、企業からバイト代をもらい管理人をやっていました。差別的な書き込みがあれば削除するということをやっていたんですが、(削除が)追いつかないんですよね。いまと比べれば当時の状況は牧歌的だったかもしれませんが、そのへんから今に至る流れができているんだろうなと考えると、当時、何もできなかったことに対して罪悪感を持っています。それで、日本に戻ってからmixiの反在特コミュに入り、そうこうしているうちにカウンターが始まり、特に考えるわけでもなく「あ、こら普通に行かなあかんわ」と思いカウンターにいくようになりました。

 

こんなもんでよろしいですかね。

 

内田 ありがとうございます。それぞれがどういう方なのかということを、ご自身からご報告をいただきました。

 

2点ほど論点を考えていまして、ひとつはネットでの差別があまりにも酷い。部落問題に限らず様々なマイノリティに対するネットでの差別があります。これをどう考えていくべきか。どう闘っていくべきかということを考えていきたいと思います。

 

 

真面目すぎると届かない。正しい情報の届け方。

 

上川 ABDARC自体がネット上の部落問題に対し、私たちが正しいと思う情報をどんどん出していきましょうという形でWebサイトを作りました。ただ、作っただけじゃどうにもならないので、どう展開していくかといことを、これから考えていかないといけないと思っています。

 

カウンター活動はすごくネットで広がっていていると思います。ゆーすけさんや李信恵さんに、作戦があったり、どんな考えでやってきたのか教えていただきたいです。

 

ゆーすけ 作戦ありましたっけ?(笑)

 

作戦は私が考えました。嘘です(笑)。

 

私は鳥取ループ裁判や部落問題を全然わかっていなかったんですが、わかろうとしたときに「わかる場所」が無い、どうやって闘っていいのかわからなかったんです。また、鳥取ループ事件は在日に対するヘイトスピーチのように目に見えない形なので、難しいなと思います。私たちへの差別は可視化されたので、すごく取り上げてもらえたこともあり、カウンターと呼ばれる反差別に関わる人たちが「これは日本社会の日本人の問題だから、差別をされている当事者を表に出してはいけない」ということをすごく言ってくれ、その点で差別されてきた私たちが守られ、孤独を感じないですみました。

 

まぁ、勝手にやってくれてたよね。

 

ゆーすけ けっこう勝手にやってた。

 

部落問題に限らず、まとめサイトはほんとうにすごいです。この間沖縄の人と話したんですが、沖縄の10代、20代が琉球新報や沖縄タイムスをほとんど読まない。どこから情報を得ているかというと、まとめサイトなんですって。まとめサイトに流されるネトウヨやレイシストの間違った情報をばかり見てそっちを信じている。この間も辺野古の基地建設に反対する人たちを乗せた観光バスの運転手が、基地に反対するおじい、おばあを誹謗中傷するツイートをしてすごく問題になりました。

 

何か検索した場合に、正しい情報をが得られるようなサイトがもっとあったらと思います。実際いろんなところでそういうのはやっているんですが、すごく真面目すぎて届かないんです。ものすごく正しいことを書いていてもプリントアウトしたら何十ページにもなるようなものは読まない。そこをどうしたらいいのか最近考えているんですが、良いアイディアが思いつかないんですよね。

 

三木 「真面目すぎて正しい情報が届かない」ということは、本当にそうだと思います。正しい情報を得る、正しい知識を身につけるのはすごく大事だと思うんですけど、押し付けちゃうかたちだと入っていきにくいかなと思います。「それ間違ってて、こっちが正しいんや」って言ってしまうと、うまくいかない、広がらないかなって思うんです。

 

私、2014年に大阪であった「仲良くしようぜパレード」ってものに参加して、お手伝いもさせてもらったんでが、そのときに自分の大学のダンス・サークルの人たちを呼んだんです。いままで自分がダンスをしていることと、人権や社会問題について思うことを発信するのは、別々の窓口でやっていましたが、初めてそういうものが繋がった瞬間っていうんですかね。例えば、人権問題をやるってなったとき、普段の自分のスイッチをオフにし、人権スイッチをオンにしないといけない、ということがあって「それってなんか違うよな」って違和感があったんです。それがどうやったらできるんだろうって思った時に、問題意識を広げたり、「差別はいけないと思いますか。良いと思いますか」と言われたら、「絶対ダメ」って言うじゃないですか。「いけないですよね」ってところから入っていき「じゃあ現在こういうことが起きています。あなたの立場からできることは何かありませんか」っていう想いで声をかけてみたんです。その人たちはけっこう賛同してくれて30人弱ぐらい集まり、御堂筋でフラッシュモブを一緒にやってくれたんです。

 

それって、その人たちが頑張って勉強して参加してくれたわけじゃなくて、その人たちが「いま自分がやっていること」を踏まえた上で、その人たちの立場から関わることができる関わり方だったと思うんです。だから、パレードもすごく上手くいったと思っていて、そういうやり方がもうちょっと広がればなと思います。

 

内田 入り口の問題ですね。特に若い人たちは部落問題を知らない。知らないからネットで調べ、よろしくない情報ばかり見てしまう。若い人だけじゃないですが、これからの未来を作っていく若い人たちに、いかに情報を届けるかというのは大きな課題だなと思います。

 

 

当事者とマジョリティが繋がる場

 

内田 今日はマイノリティ性、当事者性を持った方々にご登壇していただいています。先ほど信恵さんのお話にも出てきましたが、当事者自身が差別と向き合い、ずっと闘い続けるのはとても大変なことです。

 

私自身、被差別部落出身ではないし、男性で、この社会ではマジョリティ性があると自覚しながら研究をしています。続いて、どのようにすれば、マジョリティの人たちに想いを届けたり、当事者まかせにしない、マジョリティを巻き込み関わっていくことができるのか、ということについて議論できればなと思います。

 

上川 さっき裁判の被告の一人を退出させたときも、やってくださったのは彼の被害にあっている当事者じゃないんですよね。李信恵さんも「当事者が前に出るのはとても傷付くことだから、傷付くような場面ではマジョリティである私たちが前に出る」って言ってくださってすごく嬉しかった。すごく楽っていうか、そう言ってもらえることでもっと頑張れるみたいな。だから、マジョリティの人も全然飛び込んできてもらって、「触れちゃいけない」「言っちゃいけない」「言ったら怒られんかな」と、もしかしたら思っているかもしれないですが、私も5年後ぐらいに「なんか勝手に来てカウンターやってくれた」ってすごく言いたい(笑)。

 

 他にも、もっとやって欲しいことがあれば、お墨付きが出たということでやると思うんですけど。私がいつもTwitterで炎上して、悪質なツイートや画像を貼られた時に、わざとそれをリツイートしているんです。差別をされているのを見せるのは嫌やけど、感度の良い人が一斉に通報して最近はすぐに凍結してくれるようになったりするので、私もいまはできる限り部落差別を見つけたら報告している。鳥取ループは毎日報告している。

 

上川 とりあえず、ABDARCのサイトを1日5回開いてもらえると、検索上位にくるので、朝起きたら5回くらいクリックとか(笑)。今日のことも「#ABDARC」ってハッシュタグつけて発信していただければと思うんですけど、ちゃんと繋がりたいなとも思うんですよね。そういうのもどうやったらいいのかなって。

 

李 「在日特権」っていうすごい差別的な言葉があるんですけど、私はよくそれにハッシュタグをつけ、鶴橋の美味しいものや写真をあげたりしてきたんです。「ほんまの在日特権をみせてやる」って言うて(笑)。

 

最近は、部落の料理にすごい興味があって、そういった料理教室とか、こういったん食べてるよとか、私らは部落の文化を全然知らないので、そういうことも発信してくれたら嬉しいなと思います。ABDARCのサイトで本とかも推薦しているので、そういうものがもっと増えたらいいなと思っています。

 

ゆーすけ 食べ物は確かに知りたい。差別構造がどうたらこうたらって言うたらしんどいかもしれへんけど、食べ物とか、太鼓の歴史であるとか近寄りやすいところをどんどん出していって。あと、イベントですよね。それ関連のイベントは外の人に入って来てもらわなあかんわけですよね。大阪では仲パレやったり、ダイバーシティフェスをやっている。東京でも今年の秋にやろうかなと思っているんですけど、TOKYO NO HATEフェス(Tokyo No Hate Festival 2017)をやったり、そういう機会を使ってその他の人と繋がるっていうのもええんやろうし、外の人に向けたカルチャーのイベントがあったらどうやろって思います。

 

上川 料理教室や太鼓作りはやっているところもあるかな。でも、やろうか。

 

香山 すいません遅くなっちゃって。いま話を聞いてて、「カルチャーから」っていうのも、誘い込むってことなんだと思うけど、注意が必要だと思う。私はアイヌ差別にも反対しているんですが、アイヌはアイヌ料理、文化、音楽などいろいろあるので発信しやすいんですが、それを否定しようと差別しようとする人は、なんでも差別のネタにするんです。そういった大事にしている文化を否定されることって非常に傷付くんですね。自分たちが伝えてきた料理を「あんなものは料理じゃない」って言われてしまうと、やっぱりアイデンティティが傷付くような感じなので、「みんなを気軽に誘い込めるかも。関心持ってもらえるかも」と思って大事にしてきた文化を発信すると、そこを否定される危険性がある。

 

ただアイヌの場合は、これがヒントになるかわからないですが、それをやすやすと乗り越えたカルチャーとして「ゴールデンカムイ」という少年漫画がものすごいヒットして、アイヌに関心のなかった若者も関心を持つようになった。商業的カルチャーを狙えとは言わないけど、どっかに突破口はあると思う。だけど、それまでの間は、みなさんが着実に地道にいろいろ紹介していくしかないんだけど、少しそういうことも意識しておいたほうがいいかな。

 

三木 私は教員向けに話しに行くことがあるんですが、そのときに無関心というわけではないんですが、そういう問題に触れないのって、自分が傷つけちゃうんじゃないか、傷つけて自分が加害者になるのが怖いってことが多少あるのなかって思います。質問でも「私のクラスにもフィリピンのハーフの子がいて、どうしたらいいですか」って。「知らんがな!」って。もうそれはその子とやりとりしてくださいって思うんです。多分、そういうことに触れることで相手を傷つけてしまうんじゃないかっていう怖さがあるのかな。

 

当事者から見て、マジョリティの目線には「(マイノリティは)かわいそう」というものが混じっているんです。その「かわいそう」というものがあるから、「もっとがんばれ」とか「元気になって(差別を)乗り越えていってほしい」という期待になるのかなと思います。

 

私の学校でも人権学習で「そんなん知らんやん」「もう昔の話やん」というものも出てくるんです。そういうときに先生が言う言葉が「お前が言うか?」って言葉なんです。差別をすることに対して「あかんよね」って言える場所、信頼関係ができていれば、「あなたがそれを言うの?」って言葉は効くのかなって思っていて。みんな差別をしちゃいけないと思っているけど、それをしてしまったときに振り返ったり、話ができる場所があればいいけど、話す場所も聞く場所もないって、当事者もそうじゃない人も孤独なままだと思うんですね。当事者とマジョリティが繋がる場所がつくれると良いかなって思いました。

 

 

マジョリティにできること

 

内田 とても重要な話をしていただいたかなと思うのですが、そろそろ終わらないといけないので、一言ずつ会場の皆様へのメッセージをいただいて終わりたいと思います。では、多実さんから。

 

上川 会場のみなさんに是非お願いしたいのは、私は当事者なので、マジョリティの人が何を求めているのかわからないんです。マジョリティの人にどんどん要望を出してもらいたいし、言ってもらいたい。ABDARCはFacebookのページもあるので、そこを通じてどんどん言ってもらったり、Twitterのハッシュタグで「#ABDARCにやってほしいこと」みたいな形で出してもらえるとすごい助かるかなと思っているので、それをお願いしたいです。

 

C えーっと。みなさんすごくいっぱい喋っている中、緊張して全然喋れなかったですが、こういう人も部落にはいて、もしかしたら自分の隣の人も部落の人かもしれないというのを、ちょっと自分のこととして少し考えてもらえたらいいなと思います。今日は是非「#ABDARC」でつぶやいてください。よろしくお願いします。

 

 最後に質問です。登壇者の中で私だけひとつ違うことがあるんです。それはなんでしょう。この中で私だけ選挙権が無いんです。選挙権が無いことで辛い思いって言ったらおかしいですけど、みんなが持っているはずのものを持っていないっていうのがさびしいなと思ったりもしました。

 

差別っていうのはそういうふうに、パッと見てもわからないし、見えないものですが、知り合いがヘイトスピーチが一番酷くなったときに、「いまこんだけ酷く、路上にあふれているのは、傷口から膿が出ているもんや。膿が出たときには全部治る」って言ったんです。そういうように差別問題を見えるものにして、傷を一緒に治療できればいいなと思いました。マジョリティの部分は誰でも持っていると思うので、知り合った限りはそういうことをちょっとでも意識しながら、一緒に生きていけたらいいなと思います。

 

ゆーすけ カウンターに来て欲しいって言っても、けっこうハードル高いです。しんどいです。メンタルやられます。でも、普段からできることっていろいろあると思うんです。ぼくが思っているのは、同調圧力に少しでも抵抗することです。

 

友だち同士で話をしているときに、「誰それはどういうあれで」みたいに差別的な発言が出てくることってあるじゃないですか。それに対して何も言えずスルーしてしまうことってよくあると思うんです。けど、「それ、違うんとちがう?」って言えたらいいんだけど……なかなか言えないかもしれないんだけど、例えば目線で、ちょっと睨んでみたり、あるいはすごく嫌な表情をして「あ、こういう話はしたらあかんねんな」って感じで伝えること。それくらいからでも始めてもらえたら、少しずつそういう人が増えて言ったら変わるんちゃうかなと思っています。

 

ほんまはカウンターに来て欲しい、裁判の傍聴にも来て欲しい、いろいろ来て欲しいんだけど、とりあえずそっから始めてみませんか。よろしくお願いします。

 

内田 もっともっとお話を聞きたと思いますけれども、時間切れですのでそろそろ終わらせていただきます。一言だけ感想を言うと、私はマジョリティの立場ですが、部落問題に関わったきっかけは、部落の人との出会いです。ネット上での出会いではないです。当事者との出会いです。やはりリアルの世界でどれだけ出会っているかということと、ネット上で記号としてしかとらえられない状況とではまるで違うと思うんです。とはいえ、そのとっかかりとしてネット上で繋がるというのはとても良いことだと思うので、私たちABDARCでも、ネットで様々な情報を発信し頑張ろうと思っています。みなさまも是非応援していただければと思います。

 

 

撮影:片岡遼平
撮影:片岡遼平