EVENT 「私たちの部落問題vol.2」 第2部土肥いつきさんレクチャー
第2部前半では、長年人権教育にたずさわってきた土肥いつきさんに「語ること/隠すこと/さらすこと」をテーマに、カミングアウトとアウティングについてのレクチャーをしていただきました。
生徒たちのカミングアウトに向き合ってきた日々を通して今思うこと、そして「カミングアウト」と「アウティング」の境界線とは…。
レクチャーの内容を再構成したものを、7回に分けて掲載していきます。
第7回目は「語ること、隠すこと、さらすことの境界線 -本名を呼び名のる-」です。
第2回目の「本名宣言は1つの到達点であると同時にそこからが本当のはじまりなのです」はこちらから
第3回目の「みんなに言ってよかったって心から思う」はこちらから
第5回目の「カミングアウトをめぐるさまざまな議論」はこちらから
第6回目は「『バレバレ』の『24時間ひとりパレード』」はこちらからご覧いただけます。
●語ること、隠すこと、さらすことの境界線 -本名を呼び名のる-
先ほど、「語ること、隠すこと、さらすこと」って言いましたよね。これの境界線は一体どこなんやねんということです。さっきからずっと言ってきたのは、例えばカミングアウトを促す活動っていうのは、実はアウティングともなりかねないっていう話なんですね。あるいはカミングアウトとクローゼットは簡単にポンと二分されるものではないということですよね。この境界って滲んでるんですよね。
その中で私たちはアウティングとはいったい何か、カミングアウトとはいったい何かっていうのを、今一緒に考えながら、そして裁判闘争を闘っているわけじゃないですか。
じゃあ、やっぱりそこに境界線は引けるのか。私はそう簡単に引けるものじゃないと思うんですよね。ただ踏まえておきたいなと思うのは、私がやってきた過去の実践の中で、本当にアウティングをしてきたというその歴史にあると思うんですよね。
そして、ひとつの解答はこれなんだろうと思ってるんです。全国在日外国人教育研究協議会というのがございまして、元々は全国在日朝鮮人教育研究協議会でした。ここが一番大事にしている根本的な精神がこれなんですね。
「本名を呼び名のる」
という運動です。
先ほどはじめの方の話に「本名を呼び名のる」ってありましたよね。それはここから来てます。「本名を呼び名のる」これがすごく大事なのはここなんですよ。本名を「呼ぶ」ところからはじめるんですよね。これが大事なんです。
「名のる」じゃないんですね、「呼ぶ」んですよ。
私たち、つまりマジョリティの側が呼びかけることによって、それへのレスポンスとしての名のりなんですよね。じゃあどうやったら呼べるのか。私たちは呼びたい。でも、その子を取り巻く状況の中で呼べない社会がある。それをどう変えていくかということ。つまり、変革ですよね。その変革の中には当然「私」が入っているわけですよね。私の変革っていうのがそこで問われるわけですよね。まさに「呼ぶ」ということと「アウティング」することっていう境界線というのは、もしかしたらこのあたりにあるんじゃないかなというふうな気がしております。
実は、もう少し自己紹介のスライドもあるんですけれども、これをやると明らかに時間を突破しますんで、ここはいったんこれでとめときます。この後シンポジウムの中でボールを放ってもらえたら、それへのレスポンスとして私も名のっていきたいと思います。じゃあ一応私の話はこれで終わります。どうもありがとうございました。
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全7回にわたる土肥いつきさんのレクチャーは今回で終了です。
レクチャー当日はここには掲載できないようなブラックな笑いやユーモアがポンポン飛び出し、会場が笑いに包まれる場面が何度もありました(文字にするとそのあたりの空気感が表現できず非常に残念なのですが…)。
土肥さんはこの後パネルディスカッションにもご登壇くださいました。
その様子も後日掲載いたします。
(構成 上川多実)
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